スノーボードに出会ってからの俺の生活の変わり方は、そら相当なもの
仕事はフリーターしかできなかったし、出張も多く彼女は俺の生活に耐えられない人もいた。当然親にも、姉にも助けてもらうことも多かった(今でも)
何年かしてプロになり、トヨタビックエアーという札幌で行われるワンメイクのイベントが始まり、当然俺も出場!
結果はイマイチだったが、地元でするこの世界的に有名なイベントでいつかは!って拳を握ることもあった
俺のスノーボードの中でトヨタは特別なモノになっていった
いつかは!、、、いつかは!!、、、いつかは本選!!!
小さい夢だったが、それには理由がある
いくつか重なったものなのだが、まず調子いい狙える状態の年のTBAでは選考もれで、出場できず
やっと出れることになった時にはOVER30。ハードな時代に突入していった
それでも願いは叶った・・・
32歳だった、いまから3年前のこと
やればできる!ただやらないだけ・・・
冗談で言ってたこの言葉も、今じゃホントになってしまった
相内康夫は応援にきてくれていて、メイクした俺を見て涙こぼした。気持ちがとてもうれしくて、今でも覚えている
俺も目頭がとても熱くなり、興奮し、力が抜けた
本当にできたんだ!この年でもできるんだ!って実感するまで、そう時間はかからなかった
テントの裏でただ、、、ただ、、、叫んだ
自分へのエールだと思う。気が付くと叫んでいたから
この後の本選は力抜け過ぎで、散々な結果だったが生まれて初めての満足感がここにあったことに気付く・・・
観客2万人の中に飛び込むような錯覚にすら感じる出来事は一生忘れない
そしてこのホーリーランドに何度も経験しているライダーが・・・
そして今年で33歳平岡暁史
彼は俺達のスーパーマンだ。どんな時でも、どの場所でも、どのメンツでも楽しんで、スキル上げて、挑戦し続ける、、、、、、絶対帰ってくる!!
そう思うのは俺だけじゃないはず
だから、アキにはみんなの気持ちと一緒に・・・
何をいいたいかというと、、、、
今年の初めから、左足首の可動範囲が狭くなってきて痛みがある
そして去年痛めた右膝靭帯損傷の時の痛みがでてきた
そのうち痛みが強くなり、嫌いな病院へ足を運ぶ
左足首の骨は変形していた
歩く事に違和感を覚え、不安と言う重圧も重くのしかかっていくアクセルは踏み続けることしかできなかった
・・・・こわい
何度も思う
でも今できることは足首に注射し、関節の滑りをよくするというものをするだけ
痛みがなくなると言う変化はなかった・・・
いつ言おうか何度も迷って、アップすることも躊躇の連続
今年のエアーアンドスタイル然り日産エクストレールのハイレベルな大会を見て、いろいろ考えさせられたのは事実なこと
スノーボードってすごいよね
昔、こんなんいっぱい回って軸ずらしたら死ぬね!って言ってたことよりすごい事になってるこの時代
この先10年たったら、1440°当たり前かもしんないよ
そして俺はというと、去年の怪我のままで終わりたくないって事が答えになっていった。
だけど、堅いバーンでは足首も膝も悲鳴をあげる瞬間があってTBAで『松井克師』という自分を出せるか自信がなかった
ここでみんなにパワーをあげなきゃいけないのに、弱い部分を見せ過ぎている
結局、今年のTBAは辞退することにした
おとんにも報告したが、ため息ついて喜んでいた・・・・
おとんごめん・・・
もうTBAを出ないと思ってるおとんの勘違いを気づいてはいたが、俺は何も言えなかった
おとんの息子は、聞き分けのいい息子じゃなかったみたいです
でも松井の家に生まれて本当に幸せだよって、堂々と言える
そして昨日、自分の名前がどうして克師というか初めて聞いた
まぁこの話はおいといて、、、
でも、またいつか、、、俺も、、、、、、、、
応援してくれてたみんな、、、ごめん
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