鶴ヶ崎義徳(LIB TECH)
彼を知ったのは二十歳頃で、当時彼はオレのことなんか知らなかったと思う
オレとは違い、スノーボード始めた頃からセンスのある滑りで、すぐにバートンからスポンサードされていた
今のスノーボーダーとは違い、その頃のスノーボーダーは不良が多かったと思う
我も強く、下手な人には話かけないような空気を感じていた
(いろんな上手い人達がそうだった)
月日が経ち、彼がオレを知る事になるが、ぶつかることも多かった
みんなで酒を飲んでる時、言い争いが多くて周りのみんなには喧嘩に見えていたらしく
『ツルと松井はいつも喧嘩ばかりしてるな』
と思う人が多かったと思う
だけど
今考えると当時の考えを、ストレートに伝えれるライダーは彼だけだったかもしれない
仲良くすることができなかった20代
だけど、
仲間だったライダー達に家族ができたり、仕事があったり、怪我でやめていく中、鶴ヶ崎義徳というライダーは今でも続けている
数少ない同世代のライダー、歳のせいか少しずつ話すようになっていく
気がつくと、ヨッチ(ツルちゃん)の家に遊びに行くようにもなった
お互いおっさんになってもスノーボードし続けて、更に飛躍を目指しスタイルを追求していくライダー
ちゃんと友人として話すようになるまで随分時間はかかったけれど、当時の尖ってた彼はもういない
後輩の面倒を見て、周りに優しくなった
身も心も丸くなったヨッチ
次の日 KI:n%Hz のふみお達とスノーボード
オレはヤッシー(ヨネ)と一緒に
弟の10CH も一緒で久しぶりののんびりスノーボード
普段滑る事のないようなメンバーで、いろんなスノーボードが見れたけど、その時に思ったのは
みんな上手い!!
藤原兄弟はどんだけ仲がいいの?ってくらい、同じ場所で転ぶ姿を見て
血の繋がりを改めて実感
かつ、かず、けんたろう、まみ、ともちゃん、ふみお、10CH
みんな上手くなってたよ
更に次の日
ニセコ花園でSAJの大会取材
ハーフパイプで全国から集まる大会だったが、強風で激寒の中ずっと外に待機という今シーズンNMBロケで一番過酷なものになり、カメラマンという職業の凄さを知った
結局、予選1本滑り終わる頃にはPM3:00くらいになっていて、そのまま順位が決まってしまうものになったので、OAは厳しくなりそう
『カメラマン』とう職業
ムービーもスチールもそうだけど
オレ達にとって必要で、大事な存在
シビアな世界にいるカメラマンは本当に大変な仕事
フリースの薄いグローブでいろんな場所で撮ってくれるNMBクルーも本当にすごいいいチームだ
いつも激寒の中撮ってくれてありがとう!
(MA☆SA、SUGURU、こっくん)
そして、
そのままニセコステイ
花園NMBパークの取材
だけどニセコにきたらフリーランっしょってことで、ゲストに呼んだのが
今シーズンフルネームでオレが勝手に売っていこうと思ってる
吉田尚弘(でかちょー)、なお君と
もう一人のライダーは大阪出身でニセコでスノーボードをして10年以上にもなる廣田鉄平(moss)
この二人の滑りはオリジナル
二人とも誰の真似にもなってなく、魅せることのできるライダー
今回もいい滑り魅せられました
ただ
今回のニセコの三日間
これでもか!ってくらい雪が降っていて、休む時間のないくらいの降り見せてました
中山峠超えた世界は全く別もので、生活も大変そうだったけどスノーボーダーはゲレンデで吠えてる人多かったのが印象的
どれくらい降ったかと
夜に到着したデカチョーのビートル
自分が生活してると思ったら、おっかなくなりましたが
山はサイコーでした
画質が汚くて見えずらいと思いましたが
ナオ君の走り
やっぱり
オリジナル