1971年 ・・・
(0歳)
北海道南側にある小さな田舎町今金町で生まれる。3850gだったらしい、でかっ!
1974年 ・・・
(3歳)
おかんに無理矢理スキーやらされ
しかもどっぷりはまっていく。
1978年 ・・・
(7歳)
小学校入学&剣道もやらされた。
と同時にスキーの大会で優勝!初めての優勝経験。
1984年 ・・・
(13歳)
かつおものび太も抜いた
1985年 ・・・
(14歳)
スキー1級取得&アルペンの練習で膝の靭帯を切りスキー選手諦める。
1986年 ・・・
(15歳)
スキーと野球やっていたがいきなしバンドに目覚める。何故かヘビメタ・・・
1987年 ・・・
(16歳)
桧山北高等学校入学と同時にサッカー部に入部。弱いチームだったし団体スポーツは嫌になりまたバンドに盛り上がるが下手だった。
1990年 ・・・
(19歳)
専門学校の仲間とオーンズに行くとレンタルでスノーボード発見。そのままレンタルするもののボーゲンの小学生に抜かれていく情けなさでライバル視。これが出会いであり、この年はこの一回で終わる。
1991年 ・・・
(20歳)
サラリーマン生活始まる。が東京での冷たい風に負け、サラリーマン生活もピリオドに。(3ヶ月のみ)
1992年 ・・・
(21歳)
海外脱出、小松亮一とNZに3ヶ月行き、スノーボードに没頭。
そしてこのまま12年間NZに行くことになる。
同年秋に夏のNZで痛めた膝の半月板を手術することになり、2ヶ月の入院。退院後次の日からスノーボードをしてしまい、更にぶちっと膝から音がしたときはもう遅い。結局1週間しかシャバの空気を吸ってません。病院行くと医者は激怒だし、再手術だし、更に再入院。全部で4ヶ月半入院でドクターストップ宣告。スノーボードを諦め、太った8kgは今じゃ考えたくもない
1993年 ・・・
(22歳)
スノーボードをどうしても諦めきれなく、医者の宣告も無視!膝に負担かけないように減量始める。1ヶ月で11kg落とすことに成功、だが途中夢遊病になり夜中に食いまくる。その後、手足をひもで縛り動けなくし寝ることになる。なんとか体重は落ちてくものの栄養失調で救急車で運ばれたのは言うまでもない。
1995年 ・・・
(24歳)
NZの前にカナダに行く事になった。平岡暁史にあったのもこの時だ。そして何度かスポンサーの話はきていたものの断っていたが、ショップのライダーになると同時にA-SNOWBOARDのライダーになり安藤輝彦も一緒だった。同年冬に大会でまくり全ての大会で入賞し、そのうち優勝3回する。(全日本以外は!)そしてこの年全日本アマチュアランキング2位になる。ノーマターボードに出演したのもこの年だったなぁ。確かパンティはいて出たような・・・
1996年 ・・・
(25歳)
プロ戦に出れる資格をもらえ、今はなきフェザンカップで9位になりプロ昇格。
1997年 ・・・
(26歳)
プロ2年目だが行く道にこまり、大会もいまいちの時にsonyから発売されるビデオの依頼がきた。結局これが転換期になった。sonyビデオの撮影が始まり、アメリカやカナダ、長野、ニセコなどでシューティング。そしてMYST大作戦と言うビデオが発売された。結構恥ずかしい・・・
1998年 ・・・
(27歳)
尾崎豊のいなくなった年になる。北海道でビデオ製作チームを作ることになった。相内康夫、伊沢貞登、小松亮一、黒田拓三、メジャーと俺の6人でtrust6mediaを立ち上げる。今考えると、かなりナルシストビデオで恥ずかしめらるビデオの一つだ。いろんな経験をさせてもらい、ビデオ作りに目覚める。(編集はできないけど)ビデオ製作のなか練習していて、右側の肺を破裂させたのもこの時期でうつ病寸前。
1999年 ・・・
(28歳)
そしてとうとう待望のROUTE230が発売される。今見たらかなり照れるビデオなので、ずっとしまってある。そしてVIRUSSNOWも立ち上がった。初めてプロデュースした板で、かなり大変だった。
2000年 ・・・
(29歳)
T6M2作目LINK 発売。
2001年 ・・・
(30歳)
同年冬始まってすぐに仙台で肩の脱臼、靭帯損傷、陥没骨折、剥離骨折のフルコース。まじでこれは落ちた、絶対厄年だと思うんだけど。
2002年 ・・・
(31歳)
ノーマターボードの依頼がきた。今まではプロのライダーがすることがなかった為、かなり戸惑うことが多かったなぁ。いくつもの選択の中で出る事に決めた。その時はサンタナの社長やHTBのプロデュサーに随分迷惑かけたと思う。本当にありがとうございますだわ。
2003年 ・・・
(32歳)
年齢に徐々に疲れ覚える
2004年 ・・・
(33歳)
トヨタビックエアーの日本人予選で1位通過。
当時膝を痛めていて、痛み止めの注射打ちながらの出場だった為にとてもうれしかった。
本選の夜に見たスタート台から見える景色は、過去に一握りのライダーしか見てないんだなぁと実感。
でも本選は最低でした。
あと6作品だしたT6Mを脱退することになる。
そしてメジャーと小松亮一、フィルマーのまさとACT PICTURESを立ち上げる。
ハーレー購入後バイブスミーティングに行くが、台風22号に行く場を阻まれる。
2005年 ・・・
(34歳)
シーズン初めに首と腰痛める。
かなりしんどいシーズンになったが、大至急治す方向に!
北海道の地方番組なまら夢の依頼が!
仕事の紹介をする番組だが
かなり自分にとっても勉強になっている。